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Fiction お話

雨の日に車を洗って Sat 13 Nov 1999

「この世の中に無駄なことなんてないんだよ。」

 これがアニキの昔っからの口癖だった。 時と場合によってはかなり訳の分からない台詞だったりするのだが、実際この言葉には何度励まされたか分からない。
 高校の時にすげぇ好きだった女の子に大嫌いとまで言われて散々にフラれたとき。
 受けた大学(確かその数は13校だった)に片っ端から落ちて浪人が決まったとき。
 そして一番最近はつい数ヶ月前。 長い就職活動の末にやっと入社できた会社が入社3ヶ月で見事に倒産したときだ。 そのときもアニキはこう言った。
「会社が潰れたのはお前のために必要なことだったんだよ。 他にもっとお前に合った仕事があるかもしれないだろ。」
 それはいつものごとく説得力があるんだか無いんだかよく分からない慰めだったが、とりあえずアニキが言うとなんかそんなもんかなって気になる。 でも実のところその時のオレには次の仕事のあてなんてこれっぽっちもなかった。

 アニキと言っても本当の兄ではない。 アニキはオレが小学生の時に向かいの家に越してきた。 両親と一緒にうちに引っ越しの挨拶に来た5歳年上の中学生の男の子を一目見て気に入り、その日から毎日のように後を付いて回るようになった。 そんなオレをアニキはいやがりもせず弟のように面倒を見てくれた。
 アニキは勉強もスポーツもずば抜けて良くできた。その上、格好も良くて、当然女の子にもモテた。 オレは勉強もスポーツもそんなにできるほうじゃなかったし、そのせいか野郎の友達は多くても女の子にはさっぱりモテなかったから、アニキは昔からオレの憧れだったが、不思議と羨んだりやっかんだりの対象にはならなかった。 なぜなら、アニキのそれが生まれ持った才能だけではないことをオレは子供の頃から知っていたからだ。
 アニキはいつも他人の前ではなんでも軽くこなしますという顔をしながら、その陰で人知れず努力を重ねる。 高三になってもアニキは朝早くからサッカー部の練習に出掛けていた。 現役を引退した後でも後輩の面倒を見るために、だ。 それなのに、オレがテレビゲームに夢中になって夜更けにふと気付くと、向かいのアニキの部屋にはいつもまだ灯りがついていた。 受験勉強をしていたに違いない。 そんな姿を見ていたらその結果が出るのはしごく当然のことのように思えたのだ。

 思いがけずプータローになってしまってからオレは何もやる気が起こらなかった。 ただ何をするでもなくぼんやり時間が過ぎて行くうちに季節は夏の真っ盛りになっていた。
 そんなある日、アニキに食事に誘われた。 仕事帰りのアニキと久し振りに都内で軽く呑んだ帰り、アニキは次の仕事を探そうともしないオレを責めるでも叱るでもなく、
「そんな時期もあるさ。 そういう時間も無駄にはなんないって。」
 などと呑気なことを言った。 普段は嬉しいはずのそんな優しさがその時はひどく神経を逆撫でした。
「そんな気休め言うなよな。 そりゃアニキはちゃんとしたテレビ局でテレビカメラ回してて、自分のやりたい仕事やってるから満足だろうけど。」
 思わず口をついたその言葉を聞いて、アニキはちょっと寂しそうな顔をして黙り込んだ。 アニキはただ励まそうとしてくれただけだ、それを分かっていて八つ当たりをした自分が余計に惨めで、オレもずっと黙ったままだった。

 翌朝早くアニキがうちを訪ねてきた。 母親に無理矢理叩き起こされ、パジャマのままぼんやりと玄関に降りていくと、そこには白いTシャツにジーンズというラフな格好でカメラバックを提げたアニキが待っていた。
「俺さ、しばらく東南アジアを回ってくるわ。」
「え? 何、いきなり。」
 思いがけないその言葉を寝ぼけた頭が理解した瞬間、眠気が吹っ飛んだ。
「昨日、話そうと思ってたんだけど何かタイミング外してさ。 そんで、留守の間、お前に車を預けとこうと思って。 好きに使っていいから。」
 そう言いながら、アニキはどこの鍵だか分からない鍵がたくさんついたキーホルダーをジャラジャラ鳴らしながら車のキーを外した。
「ホントに使っていいの?」
「あぁ。 あ、でも俺が帰ってくる前にはちゃんと洗車してガソリン入れとけよ。 お前、いつも使ったら使いっぱなしだからなぁ。」
 そう言って差し出された車のキーを受け取ってオレは尋ねた。
「で、いつ帰ってくんの?」
「あぁ、気に入った映像(え)が撮れたらな。 長くて3ヶ月くらいかな。 ま、でも俺の誕生日には帰ってくるつもり。 祝ってくれるっていうオンナがいっぱいいるからな。」
 冗談めかして笑いながら言うと、アニキはじゃあなと言って玄関を出た。 外に待たせていたタクシーに乗り込みながら、パジャマ姿のままサンダルをひっかけて見送りに出たオレに言った。
「それからさ、俺の大学時代の友達からお前に連絡があるかもしんない。」
「なんで?」
「そいつさ、最近会社を起して、今、人を探してるんだわ。もし気が向いたら話、聞いてみ。もちろん気に入らなきゃ断ってもいいから。」
 そして、もう一度じゃあなと言ってアニキは発った。

 数日後、そのアニキの友達から携帯に電話が入った。 仲間とCGを使ったCMの制作をしているというその人に請われるまま、代々木にあるその会社に出向く気になったのは、たまたま気が向いたからとしか言いようがない。
 決して今風とは言えないビルの小さな貸し事務所にその会社はあった。 中にはコンピュータが何台も置かれ、ジーパン姿の若い連中がパソコンのモニターに向かっていたり、缶コーヒーを片手に談笑していた。 その間も誰かの携帯電話の着メロが鳴り響いている。 事務所の雰囲気は雑然としていたが活気はあった。
「散らかってて悪いね。貧乏暇無しで片付ける時間もなくて。」
 その事務所の中では比較的年上に見えた男の人がアニキの友人その人だった。 事務所の隅に申し訳程度に置かれた応接セットに案内された。
「忙しそうですね。」
「あぁ、こんな感じだから、今は猫の手も借りたいって感じでさ。」
「オレ、CM制作なんてやったことないですけど。」
「それはいいんだよ。コンピュータは多少は使えるんでしょ?」
「えぇ、それは。学校でもやってましたし。」
「体力にさえ自信があるんなら、あとは少しずつ覚えてくれればいいから。 君、絵が描けるんだよね? とりあえず今、欲しいのはコンテ描いたりデザインとかしてくれる人間。 あとはチカラ仕事と雑用。 当面はバイトだけど、それでもいいなら。」
 この人と仕事をしてみてもいいかなと思ったは、その人の自信に満ちた口調と態度がどこかアニキに似ていたからかもしれなかった。
(こうやって代々木まで来たのは無駄じゃなかったのかもしれない。)
 紙コップに出された濃い目のインスタントコーヒーを口にしながらそんなふうに思った。
「アニキとは大学時代からの友達なんですよね。」
「うん。 学生の頃はよく遊んでたけど、卒業してからはたまに飲みに行ったりする程度だな。 お互い時間が不規則な仕事だし。 しかし、アイツも思い切ったよな、会社まで辞めて海外に行くなんて。」
「え? アニキ、会社辞めちゃったんですか?」
「知らなかった? そうらしいよ、あいつもここんとこ煮詰まってたんじゃないかな。 大きな会社じゃ思う通りにいかないこともあったみたいだし。 なんかコンクールに出す映像を撮りに行くとか言ってたけど。」
 自分自身も悩みを抱えていながら、アニキはオレの事を気にかけて自分の友達を紹介してくれたのか・・・。
(相変わらず自分ばっかりいいカッコしやがってさ。)
 思わず苦笑した。 そして、ここで働いてみよう、そう決めた。

 アニキからはたまに短いメールが来た。 今、何処にいて暑いとか食べ物が合わないとか、それだけのメールだったが、オレはすぐに返事を出した。 仕事を始めたことを報告したら、
『頑張れよ』
 と、一言だけの返事が来た。

 その年の夏は長く、10月になってもまだ半袖で過ごせるくらいだったが、10月も中旬を過ぎると急に秋めいてきた。 夜遅くまで会社に詰める日が続いていたから、季節の移り変わりにも疎かったが、朝夕の空気がすっかり冷たくなってジャケットを引っ張り出す頃になると、急にアニキの顔が見たくなった。 11月になってアニキの誕生日がもうすぐだった。そんな頃、またメールが来た。
『来週には戻るから。』

 アニキのいるその国で内乱が起きたというニュースが流れたのはその数日後だった。

 戻ると言っていたその週が過ぎ、誕生日の前日になってもアニキは帰ってこなかった。 突然異国の地で起きたその内乱はすぐに沈静化し、日本人の犠牲者は確認されていないと報道されていたが、混乱は続いているらしい。 当の本人からの連絡はなかった。
「ま、あの子のことだからそのうち帰ってくるでしょ。」
 心配になってアニキの家を覗いたとき、おばさんは表面上は呑気な風を装ってそう言ったが、内心とても心配していることがその表情からひしひしと感じられた。
(電話一本、メール一本も寄越せないような状況なんだろうか?)
 アニキは誕生日には戻ると言って出掛けて行った。 今まで一度だって約束を破ったことはない。
 その夜、何度もメールをチェックしながら、オレはだんだん不安になってきた。 他人からは楽天的に思われることも多いが、実は一度悪いほうへ考え出すと思考がどんどんネガティブに転がって行く性質(たち)だ。
 結局、その夜は一睡も出来なかった。

 翌日、オレは朝からアニキのRV車を近所のコイン洗車場に持ち出した。 帰る前には洗車しておけと言われたことを思い出したからだ。 空には厚い雲が広がっていたが、じっとしていると不安に押しつぶされそうで、オレは構わずに洗車することにした。
 シャワーの水で汚れを落とし、カーシャンプーで車体の隅々までキレイに洗い、シャンプーの泡をシャワーの水量を最大にして流し落とし、あとは水滴をふき取ってワックスがけ・・・といったところまできたとき、空からぽつんぽつんと大粒の雨が落ち始めた。 なんだか胸騒ぎがして空を見上げていたら、雨はだんだん激しくなりすぐに本降りになった。
 今、シャンプーしたばかりの車に容赦無く雨が降り注いだ。 なんだかたまらなく不安になったとき、アニキのいつもの口癖が突然頭に浮かんだ。
(世の中に無駄なことはないって、雨の中で車を洗うのも無駄じゃないっての?)
 オレは必死になって手にした雑巾で車体を拭き始めた。 シャツもズボンも靴もすぐにずぶ濡れになった。 11月の雨はとても冷たくて、手が凍えて唇も震えていたが、車を拭く手を止めることができなかった。
(教えろよ、アニキ。 これも無駄じゃないってのか? 帰ってきて教えてくれよ。)
 涙が雨と一緒になって頬を伝っていた。

「お前、こんなとこで何やってんの?」
 後ろから聞き慣れた声が聞こえたのはそんなときだった。
「え?」
 そこには傘を差したアニキが立っていた。
 3ヶ月前に出掛けた日と同じTシャツの上にチェックの厚手のネルシャツを羽織り、出掛けた日と同じジーンズはかなり色褪せていた。 軽くウェーブの掛かった髪は日焼けのせいで一層茶色くなっていて、肌も日に焼けて黒くなり、頬には決して小奇麗とは言えない不精髭を生やしていた。
「何やってんだよ? こんな雨ん中で車洗ってるなんてばっかじゃねーの? びしょ濡れじゃん。」
 突然現れたアニキの姿にオレは呆然と立ち尽くしていたが、その言葉を聞いて思わず叫んでいた。
「そっちこそ何やってたんだよ。 みんながどんなに心配したと思ってんだ。 連絡くらいしろよっ!」
 驚きと安堵の気持ちが一瞬怒りに変わり、思わず手にしていた雑巾を地面に叩きつけた。 足元の水溜りの水がピシャっと四方へ飛び散って2人の靴を濡らした。
 しばしの沈黙のあと、アニキは靴が濡れるのも気にせず水溜りをばしゃばしゃと歩いてきて、手にしていた傘をこちらに差しかけた。
「わり。 日本(こっち)に発つ日にあの騒ぎになって、空港が閉鎖されて飛行機も飛ばないし、現地のほうは混乱しててなかなか連絡入れられなくて。 とりあえず落ちついたのを見計らって取るもの取りあえず帰ってきた。」
 そこまで言ってふぅと短く一息つくと、アニキはオレの顔を見て笑った。
「何回もメールくれたんだな、成田からこっちに帰る車の中で見たよ。 悪かった、心配させて。」
 アニキの笑顔を見たら、改めて安堵感が全身に広がるのを感じた。 思わず膝の力が抜けそうになった。
「うちに帰ったら、お前が車を洗いに行ったって言うから。 雨降り出したのに帰ってこないって、おふくろ、気にしてたぜ。」
「だって、約束したろ。 帰ってくる前には洗車するって。」
「それにしたって、こんな雨の中・・・。」
「アニキいつも言ってんじゃん、世の中に無駄なことなんかないって。 雨の日の洗車にもなんか意味あんだろ?」
 アニキはちょっと考えて言った。
「当たり前じゃん。 お前が車を洗って待っててくれたから、こうやって無事に帰ってこれたんだろ。」
 ――― 相変わらず無理矢理な理屈だ。
「風邪ひく前にさっさと着替えて来いよ、どっか連れてってやるよ。」
「え? だって、誕生日はオンナとデートだって言ってたじゃん。」
「今から誰か誘うのも面倒だしな。 今年はお前で我慢してやるわ。 車で何か食べに行こう。」
「え〜っ、せっかく洗車してやったのにもう汚す気かよ。」
「お前、洗車はな、その後で汚すためにするんだよ。 汚さなきゃ意味ねーのっ。」
 ――― やっぱり無茶苦茶な理屈だ。

 そして、アニキはさっさと運転席に乗り込みながら笑いながら言った。
「物事の意味は自分で決めるもんなの。 だから、世の中に無駄なものなんかないんだよ。」


一応、「木村拓哉様お誕生日記念〜っ」ということで・・・。
タイトルは五木寛之さんの『雨の日には車をみがいて』のパクリです。(^^ゞ
たまたま本棚を整理しているときに出てきた本のタイトルを見て、最後の場面だけ思いついて書いていたら、超短編にするつもりがこんなものに・・・。いいのかこれで?>自分。

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