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Essay エッセイ

カタチのない男(ひと) Fri 5 Nov 1999

秋です。人肌恋しい、いえいえ、人恋しい季節です。ま、確かに寒くなってきて人の体温も恋しいって感じですが。(笑)
今年は思いがけず暴走してしまったせいで夏がとても長かったのですが、 ようやく気持ちも秋めいてきて柄にもなくいろいろと物思いに耽ったりする今日この頃です。
・・・と言っても物思う内容は知れてるけどね。(^^ゞ

この秋の香取氏ご出演バラエティ番組をいろいろと振りかえりつつ、 「なんで慎吾なんだろ〜なぁ?」と最近よく思います。

どの番組のどのシーンもお茶目でむちゃくちゃカワイイ。
「あ〜あぁ、このヒトはなぁ、も〜。(^^ゞ」と思うくらいおちゃらけちゃう姿も今となってはやっぱりカワイイ。
自分でも「甘すぎちゃうん?」と思うのですが、分かっていてももう止められない。(^^;;

実は慎吾ってわたしの個人的な「好みの男」からはかなり大きく外れているのです。(笑)
だから「なんで慎吾なんだろ〜なぁ?」と思ったりするのですが、改めて考えてみると、 どうやらそれは「香取慎吾は○○だから好きっ!」と定義できないからじゃないかと思うわけです。

「沙粧」で慎吾クンにハマってから早やウン年。
未だにわたしは「香取慎吾」がどんな男なんだかさっぱり見当がつきません。


  ときに甘えんぼなSMAPの末っ子なのに、
  ときに社会人歴十数年のしっかりした大人の男。

  ときにはやんちゃなイタズラっ子なのに、
  ときには朗らかで優しくて礼儀正しい好青年。

  感受性が強くて感覚でモノゴトを捉えているのかと思えば、
  実はすごくいろいろと細かく深く考えていたり、
  大胆で大らかで豪快かと思えば、
  それでいて、すごくデリケートで神経質で小心者だったり。
  ときどきすごく寂しそうな目をしているかと思ったら、
  ドラマの中では恐ろしいくらいキレた眼差しで宙を睨んでいたりする。


「虚構(=メディア)の世界の住人・香取慎吾」は、わたしの中でいくつもの人格を持っていて、 いつになってもひとつのカタチを作ってはくれません。
そしてどうやらわたし自身も彼がひとつのカタチに留まることを望んでいないようです。
きっと「こいつ、一体どんな男なんだろ?」とあれこれ悩みながら彼を見ているのがすごく楽しいからでしょうね。
わたしは、「香取慎吾」という男(ひと)のカタチを探しながら、 実は自分自身の求める人間(ひと)のカタチを、ひいては理想の自分自身のカタチを探しているのかもしれません。
・・・な〜んてね、またまたちょっとナル入っちゃいました〜。(笑)

何にしても「見ているだけで手の届かない男」ならば、それは思いっきり分かり難くて謎が多いほうが面白いっ!
だから、メディアの上でだけはもっともっと「世の民」に理解不可能・予測不可能な男になってください。
そしてず〜っとわたしたちを惑わし、誑(たぶら)かし続けてください。
だって「香取慎吾って何者?」と悩んでいる間は、 きっとわたしは幸せないち慎吾ファンでいられると思うから・・・ねっ。
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「対自分」のオーラ Wed 22 Sep 1999

長年宮仕えなんてものをやっていると、朝からどうやってもテンションが上がらなくて、 寝癖のようにバシバシ起き上がってくる「不機嫌」を、むりやり撫で付け押さえつけ、 どうにかこうにか会社にたどり着く日もあります。
「お願いだから、今日だけは平穏無事に過ぎて欲しい」・・・と思いながら・・・。
しかし、そんな日に限って、次から次へとバシバシ人の感情を逆撫でしてくれる出来事が起こります。(-_-;)
そして、そういう時っていつにも増して、ふと耳にした歌のフレーズとかふと目にした文章の一節がココロに留まることがあります。
先日のお昼休み、本屋で手にした「コスモ○リタン」。吾郎ちゃんの「馬耳東風アラモーダ」がそうでした。

「『対自分』のオーラを持つ女性は魅力的」(スミマセン、うろ覚え ^^;)・・・それは、 「自分の生き方にこだわって、納得して、自信を持って生きている女性はキレイだ」ってことなのかな?

そこでふと思ってしまいました・・・「今の自分って、ぶさいくだろうなぁ。」と。
それは、そのときは自分で自分に納得していなかったから。些細なことで苛立っている自分が嫌だったから。
そうですよね、自分が納得して自分らしくいられたら、周りの雑音なんかきっと気にならないんでしょうね。
ちょっとしたことなんかは、きっと笑って受け入れてしまえるんだろうと思います。

「対自分のオーラ」・・・。大体がオーラなんかこれっぽっちも出てないわたしにこれはなかなか難しい。
でも、オーラとまではいかなくても、せめて自分と向き合う姿勢は忘れないようにしなきゃ・・・と思いました。

・・・わたしも吾郎ちゃんに負けず劣らず「ナルシスト」入ってますね?(笑)
でも、そのときは「頑張れよっ!」と吾郎ちゃんに背中をぽんっと叩かれたような気がしたのでした。

というわけで、大概は立ち読みで済ませてしまう「コス○ポリタン」(吾郎ちゃん、ゴメン!)、今月はお買い上げ〜っ!
でもそれは文章もさることながら、三つボタンスーツの吾郎ちゃんのお写真がとっても好みだったからなんですけどね。(笑)

あ、でもひとつ突っ込ませてもらえば・・・。
とある食べ物屋さんで「自分は周りに溶け込んでいた(=目立っていなかった)」とおっしゃる吾郎ちゃん。
でもねぇ、きっと、静かに静かにでも確実に「目立ってた」と思いますよ〜。
だって、吾郎様の発するあの「オーラ」は絶対、普通じゃないと思いますもの。(笑)
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「出逢い」のタイミング Tue 7 Sep 1999

最近、あるSMAPファンのお友達とお話していたとき、 「人には『出逢うタイミング』というのがあるんだなぁ」と痛感しました。

わたしが「あすなろ白書」で拓哉様にハマったのはもう6年前くらい前になりますか。
当時拓哉様20〜21歳。わたし、20と?歳。(ぜって〜言えね〜なっ!^^;)
そして、慎吾クンに堕ちた(笑)のが4年前の「沙粧」。
当時慎吾クン18歳。わたし、やっぱり20と?歳。(笑)

これって多分かなり絶妙な「タイミング」だったんだろうなぁと思います。

「あすなろ白書」放映当時のわたしは、 取手クンに魅力を感じるギリギリの年齢だったんじゃないかという気がします。
まだかろうじて大学生の登場人物たちに自分を同化できる歳だったかな。
もうちょっと年齢が上だったら、きっと取手クンにはハマれなかったと思います。

そして、「あすなろ白書」でハマった拓哉様を通してSMAPを見るようになっていなければ、 きっと「沙粧」の慎吾クンを見ることはなかったか、 見ていてもココまでどっぷりハマるってことはなかったかもしれません。
やはりそれ以前のSMAPとしての慎吾クンを見ていたからこそ、 あの「沙粧」での慎吾クンはより一層インパクトが強かったんでしょうね。
それに、ここでもやっぱりあの当時のわたしは、「沙粧」での 「少年と青年の間の危うさを漂わせる慎吾クン」にオトコとしての魅力を感じられるギリギリの年齢だったと思います。

ということは、もし「あすなろ白書」で拓哉様にハマっていなかったとしたら、 もしその次にSMAPと出逢うタイミングはやっぱり「ロンバケ」だったのかなぁ・・・。
慎吾クンにどっぷりハマっていなければ、 「ロンバケ」はやはり自分の年代にジャストミートしていたと思いますから・・・。
としたら、今頃はコンサートで「キャ〜っ!拓哉ぁ〜っ!」とか叫びながら拓哉様のウチワを振ってたのか?(爆)
そして、もしそれ以降、慎吾クンに転ぶことがあったとすれば、やっぱりそれは「金狼」だろうと思うのです。

そんなふうに考えたら、やっぱり「沙粧」は「わたしが香取慎吾と出逢うタイミング」だったのかもしれません。
当時の自分の環境とか状況を考えてもやっぱりそう思えるんですよね。
あの頃のわたしは、慎吾クンのような「生まれ持った眩いばかりの感性」と 「その感性に正直に生きられること」が羨ましくて羨ましくて仕方がなかった時期でしたから・・・。

そんなふうに考えると、SMAPファンのひとりひとりがそれぞれ違った「SMAPとの出逢いのタイミング」を 持っているのですよね?
それぞれにとってかけがえのないストーリーを持った「出逢い」のタイミング。
いろんな方のSMAPとの「出逢い」をお聞きするがわたしはとても楽しみです。

もちろん「SMAPの香取慎吾」とだけでなく、どんな人とも「出逢い」のタイミングがあります。
出逢ったのが早いとか遅いとかそういうことは関係無く、 「その人と出逢ったそのときが自分とその人との最良のタイミングだった」と信じるしかない。
だから、出逢ったその時の相手と自分の状況を大事にして、BETTERな関係を作りたい。

今年もコンサートの季節がやってきて、またいくつかの新しい出逢いがありました。
その出逢いを思い返し、そしてまだこの先の出逢いに思いを馳せ、ふとそんなふうに思う今日この頃です。
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