|
|
|
|
|
お話 |
|
夏の日 | Wed 2 Aug 2000 |
|
チリン・・・チリ・・・チリリン・・・ 南部鉄器の風鈴が縁側で澄んだ音をたてている。 その風鈴はわたしが物心つく前から毎年夏になると父が吊るしていたものだった。 その父が逝ったのはもう十年以上前のことになる。 それ以来、その風鈴を吊るすのは母の役目になっていた。 父が吊るしていたのと同じ場所に、父がしたように――。 ただ、父なら少し背伸びをすれば届いた鴨居は母には踏み台が必要だったけれど。 南部鉄の控えめで柔らかな、それでいて確実に心の奥に届く音色は昔とちっとも変わらない。 ――いや、もしかしたら本当は少しは変わっているのかもしれない。 過ぎゆく時間は形あるものすべてに平等に風化の影を落とす。 南部鉄のその音色もいつしか微かに鈍い響きを帯びているのかもしれない。 ただ、わたしが気付かないだけで――。 夏の盛り。 東京(まち)はクーラーが無ければ眠れないほど茹だるような暑い夜が続いているというのに、郷里(ここ)にはなぜこんなにひんやりとした夜風が吹くのだろう。 縁側にぼーっと座っていたわたしの傍らに祖母が真っ赤に熟れた西瓜の皿を置いていった。 久しぶりに実家(うち)に戻ったのに口数のあまり多くないわたしに家人が多くを聞かずにいてくれる。 そのさりげない気使いが有難かった。 東京から車で数時間の山間いの村。時代から切り離された郷里がわたしはあまり好きではなかった。 ここは何もかもが古めかしくい。木造の校舎、木造の役場、木造の民家、夏草の茂った畦道、風に揺れる田んぼの緑、 そして人々の風貌やその人柄すら、ここだけは時がゆっくりと流れているかのように変わらない。 それが嫌で東京の大学を選びそのまま就職してしまったのになぜか夏の休みになるとここへ帰ってきてしまっている。 郷里とはそういうものなのだろうか? 夜空には無数の星が瞬いている。月並みだが「今にも降ってきそうな」とはこういうことを言うのだろう。 普段の生活ではゆっくりと空を見上げることなど滅多にないのに、郷里では昼も夜も気が付くと空を仰いでいる。 太陽の眩い陽射しを、月の蒼白い明かりをその頬に直接受け止めようとでもするように――。 「ほんっと、すげぇ星の数。数え切れないなー」 彼がここで夜空を仰ぎながら、降ってくる星を受け止めでもするように手を大きく広げてそう言ったのは3年前の大学3年の夏。 はじめて彼が実家に来た夜だった。 都会育ちの彼はこの満天の星空がすっかり気に入ったようで、飽きもせずずっと ――そのせいで翌朝には首が痛いと言い出すくらい長い間―― 夜空を見上げていた。 以前から病床に伏していた祖父が他界して急に郷里に戻ったものの、 突然祖父がいなくなったことにまるで実感は湧かず、 葬儀が終わり初七日が過ぎてもわたしはぼんやりと日を送り東京へ戻れずにいた。 そうやってずっと連絡もしないままのわたしを心配して彼はいきなり郷里までやって来たのだった。 免許を取ったばかりなのに――と渋る友達から無理矢理車を借りてひとりで高速を飛ばしてきたらしい。 ときどきそんな無茶なことをしてまわりをはらはらさせるひとだった。 「あの・・・はじめまして・・・あ、この度はえっと・・・ご愁傷様でした・・・」 多分ここへ来る途中に何度も練習したのであろうこの短い挨拶も、 緊張で語尾が消えてしまいそうになっていた。 こんな田舎ではあまり見かけないウェーブのかかった長めの髪の毛を金色に染めた長身の青年の突然の訪問に、母と祖母はずいぶん驚いたようだった。 しかし、どう紹介したものかと困惑するわたしを尻目にふたりは意外にも嬉しそうに彼を迎え入れた。 そして、すぐに帰るという彼を無理矢理家に上げ、泊まっていくようにと説き伏せると、大張り切りで夕飯の支度を始めていた。 「おとうさんも割と背は大きい人だったんだけど、 さすがにあの人のパジャマじゃ小さいでしょうしねぇ。 着られそうなものって言ったらこんなものしかないんだけど・・・」 風呂上りにそれまで着ていたジーパンにTシャツで出てきた彼に、母がそう言って持ってきたのは父の浴衣だった。父が気に入っていたその浴衣は長板中形という昔ながらの手法で染められたものだと母が昔教えてくれたことがあった。 「・・・ねぇ、俺、浴衣なんて着たことないよ」 彼が耳元で小さく囁いた。と言われてもわたしも自分の浴衣くらいは着られてもさすがに男物の浴衣の着付けなどしたことがない。 しかし、母は物怖じもせずに彼を奥の部屋へ連れて行ってしまった。 「良く似合うじゃない?でも、やっぱりちょっと丈が短いかしらね」 しばらくして照れくさそうに母の後ろに隠れるようにして戻ってきた彼は確かにちょっと丈は短いものの、濃い藍色の浴衣は彼の広い肩幅に良く似合っていた。 その浴衣を着ていた父の姿を想い出した。 「やっぱ変?」 黙って彼の姿を見つめたまま何も言わないわたしに彼が恐る恐る尋ねた。 「・・・うん、なんか変。ほら、そんな大股で歩いちゃ駄目だって」 わたしは思わずそんな憎まれ口を返していた。 もちろん本当にそう思っていたわけではなくて、実は角帯を腰の低い位置で貝の口にきりっと結んだ浴衣姿の彼につい見とれてしまったのだとは恥ずかしくて言えなかった。 その夜の食卓にはさすがの彼でも食べ切れないほどのたくさんの料理の皿が並んだ。 彼は母や祖母が勧めるままにビールで顔を真っ赤にし、我が家には久しぶりに大きな笑い声が響いていた。 「病院でね、じいちゃんがあんたが夏休みに帰ってくるまでに買っといてくれって言っててね」 夕食後、はちきれんばかりのお腹を休めようと縁側で涼んでいたわたしと彼のところに母が子供用の花火の包みを持ってきた。 「おー、花火セットだ。懐かしいなー、こういうの。やろやろっ」 縁側の傍らに祖母が出しておいてくれた祖父の下駄を引っ掛けて庭に出た彼は、早速花火に火をつけていた。 彼の手にした花火から白や黄色や緑の光が流れ落ちる。 毎年夏になると祖父はわたしと一緒に花火をしてくれた。わたしが郷里を離れ自分が病床に伏しても祖父はそれを忘れないでいてくれた――。 思わず頬に涙が流れていた。 通夜でも葬儀でもなぜか流れなかった涙がそのとき初めて流れた。 「きれーだなー。なぁ?・・・ぇ?」 わたしのほうを振り返った彼は思いがけないわたしの涙を見ると驚いたように縁側に戻ってきた。 隣に腰掛け、わたしの頬を両手で覆い、流れ落る涙を親指でそっと拭った。 ふと視線を上げて彼の顔を見ると、彼の眼は真っ赤で今にも涙が溢れそうだった。 「ねぇ、なんでそっちが泣きそうになってんの?」 「ばぁか、泣いてないって・・・」 そう言って顔を背けた彼を見て、わたしは泣きながら笑っていた。 わたしが泣いたら一緒に泣いてくれる男性(ひと)がいる――。 そのことはわたしの心に何よりの安らぎを与えてくれた。 翌年の夏、就職活動に忙殺されたわたしたちは郷里に顔を出す暇もなく、彼が再びわたしとともに郷里を訪れたのは去年の夏のことだった。 「しばらく見ない間にすっかり大人っぽくなって。さすが社会人になると違うもんねぇ」 2年ぶりに彼に会った母は開口一番そんなふうに言った。 就職活動を始めた頃に髪を短く切って黒く戻した彼の姿をわたしはもう見慣れていたが、久しぶりに見た母や祖母にはすっかり別人のように見えたらしい。 彼と一緒に帰ると母に伝えていたからか、わたしの部屋には丈を長めに直した父の浴衣と箪笥の奥に仕舞ってあったわたしの浴衣が綺麗に畳んで並べて置いてあった。 「そうだ、花火買ってきたんだった」 夕食のあと、縁側でわたしの隣に腰掛けてビールの缶を片手に涼んでいた彼がふいに思い出したように立ち上がり、戻ってきた時に手にしていたのはいくつかの小さな線香花火の包みだった。 「花火って・・・これ?」 「だめ?俺、結構好きなんだけどな、線香花火」 そう言いながらもう一度わたしの隣に腰掛ける彼は浴衣の裾さばきも以前と違ってすっかり堂に入ったものになっていた。 一体いつの間にこの人はこんなに毅然とした身のこなしをするようになっていたのだろう?そう言えば、最近は会社帰りに会うときのスーツ姿もだんだん板に着いて、就職活動の頃の育ちすぎた七五三のオトコのコとでもいうような違和感はなくなっていた。 そんなことを考えているわたしを他所に彼は煙草盆に煙草の箱と一緒に置いてあった自分のライターを取り、線香花火に火をつけている。 小さく儚いオレンジの光は一瞬広がってはすぐに消える。 「はい、持って」 彼がわたしに線香花火を持たせて火をつけてくれる。 そして、自分も消えては次、消えては次とときどき2本や3本まとめてみたりしながらどんどん線香花火に火を付けていく。 その小さな光を見ながら、わたしはだんだん切なく寂しくなっていた。 「どうした?黙っちゃって・・・」 「うん・・・わたしさ、小さいときから線香花火って苦手だったんだ」 「なんで?」 「だってすぐ消えちゃうし、それにほら、最後に落ちちゃうでしょ?ぽとっ・・・って。 それがなんだか寂しくてね」 「寂しい?」 「うん。なんかこの線香花火みたいに大好きなものがすぐに目の前から消えちゃいそうで・・・」 「今も?寂しくなった?」 そう言われて思わず涙が出そうになって俯いてしまったわたしを見て、彼がわたしの頭に手を伸ばしてそっと撫でた。 彼の大きな掌の感触が心地良かった。やっと顔を上げたわたしに彼が言った。 「大丈夫。ずっと傍にいてやるから」 その彼も今年はここにいない。もうわたしの隣にはいない。 ずっと傍にいてやると言ってくれたのに・・・。 心地良い夜風が風鈴から下がった短冊を少し揺らした。 わかってる。それは彼のせいじゃない。 わたしが彼が傍にいてくれることをまるで当たり前のことのように思ってしまっていたから。 わたしが泣けば彼も涙を流してくれることを当然だと思ってしまっていたから。 少しずつ彼の気持ちに、彼の変化に鈍感になってしまっていたから。 いつの間にか距離が出来ていたことに気付かなかったから。 彼は少しずつちゃんと大人になっていたのにわたしだけがずっと子供のままだったから。 ――神様がそんなわたしに罰(ばち)をあてた。それだけのことだ。 チリン・・・チリ・・・チリリン・・・ 来年も再来年も父の風鈴はここで優しい音色を響かせているに違いない。 そして、この縁側には柔らかな夜風が流れているに違いない。 でも、少しずつ何かが変わっていく、誰も気付かないうちに。 そして、わたしのこの彼への想いもいつか形を変える日が来るだろう。いつか――。 |
||
|
なんか結構長いあいだ書いてなかったんですねぇ。(^^ゞ さて、今回は富増村と天声慎吾の浴衣姿と「らいおんハート」がアタマの中をぐちゃぐちゃしてたらこんなんになってしまいました。 ハッピーエンドにならなかったのは多分「らいおんハート」のせいだと思うんですよね。 歌詞もメロディーも歌声もあんなに優しいのに、何回も聞いてもなんだか寂しくなってしまうのです。 |
|
|
|
| Copyright (C) 2000 真琴 All Rights Reserved. |