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Fiction お話

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リリ [その3]

 3月も終わりに近づいた卒業式のその日は、雲ひとつない青い空が広がる気持ちの良い天気だった。

 あの夜以来、アトリエには行っていなかった。シンちゃんが電話をしてきても出なかったし、うちに訪ねてきても居留守を使った。
 怒っていたわけではない。ミチさんに嫉妬していたわけでもない。 ただ、自分のシンちゃんに対する気持ちが、友達が騒いでいる「恋」ってやつなんだと気づいて戸惑っていた。 わたしは、シンちゃんのがっしりした肩幅に、角張った頬骨のラインに、振り返ったときの笑顔に、 「男性」として魅かれていたのだということにやっと気づいただけだ。 いつかあの広い胸に抱かれたい、あのやわらかい唇に触れられたいと願っていたのだということに気づいてしまった瞬間、 シンちゃんと向き合うのが怖くて仕方なくなってしまったのだ。

 卒業式はつつがなく終わった。
 みんなと毎日会えなくなるのは寂しかったが、会おうと思えばいつでも会える。 「蛍の光」に3年間の感慨が無くはなかったけれど、涙がこぼれるほどではなかった。
 みんなで記念写真を撮り、お世話になった先生にお礼を言い、遠くの大学に行ってしまう何人かの友達と連絡先を交換し、 片思いの男の子に手紙を渡したいという友達に頼まれてその手紙を届け終えると、もう学校に残る理由もなくなった。 友達からは「卒業記念カラオケ」に行こう誘われたが、なんだかそんな気分になれなくて断った。 パパもママも仕事で来られないと言っていたから、わたしはひとりだった。
 名残惜しげに留まって話をしたり写真を撮ったりしている卒業生やその親たちの人波を抜けて、わたしはひとりで校門を出た。 春の予感を感じさせる風は爽やかで、でもまだ少し冷たかった。
 アトリエに行くには、右へ行ってバス停からバスに乗ればよかった。大学は春休みのはずだから、シンちゃんはきっとそこにいるに違いない。 でも、わたしは校門を出てると左へ曲がって駅へ向かった。とにかくうちに帰ろう。そう思ったが、足取りはなんだか重かった。
(やっぱりみんなとカラオケ、行けばよかった・・・。)
 そう思ったとき、
「リリ〜っ!」
 後ろから呼ぶ声がした。子供の頃から聞き慣れた、それなのにひどく懐かしい声だった。わたしは足を止めて、ゆっくり振り返った。 後ろから小走りに向かってくるのは、見慣れないスーツ姿の背の高い男の人だった。一瞬、誰?と思って目を凝らした。
「リリっ!」
 声の主はやっぱりその男の人だった。右手には真っ赤なチューリップの花束を提げていた。
「シンちゃん?」
 スーツ姿のシンちゃんが少しスピードを緩めて、わたしの前までやってきて立ち止まった。
「ごめん、遅れた。」
「遅れたって?」
「卒業式が終わるときに出迎えてやろうと思ってたんだけど、これ買うのに手間取っちゃってさ。 赤いのがなかなか見つからなくて、3軒も花屋をまわって・・・。」
 そう言って、シンちゃんは提げていた真っ赤なチューリップの花束を上に向けて持ち直し、わたしに差し出した。
「卒業、おめでとう。」
 突然のことにびっくりして、わたしは何も言えなかった。ただシンちゃんの顔を見上げるのが精一杯だった。
「ほら、受け取れよ。」
 そう言ってシンちゃんがもう一度差し出した花束を、わたしは両手で受け取った。
「どうしたの?その格好。」
「おかしいか?」
「うん、おかしいよ。」
「そう言うなって。リリが卒業式で恥ずかしい思いをしないようにと思って、わざわざスーツ着てきたんだから。」
 いつもは柔らかくてフワフワな髪の毛も、今日はジェルでオールバックになでつけてあった。 わたしは、改めてシンちゃんの顔を見上げた。いつもの「シンちゃん」じゃない、ちょっと大人の「シン」がそこにいた。 嬉しいのか哀しいのかびっくりしたのか、なんだかよくわからない感情で胸がいっぱいになり、涙が溢れそうになった。
「なーに泣いてんだよ。リリ、どうせ卒業式でも泣かなかったんだろ?そのくせに今ごろ泣いてんなよ。」
 シンちゃんは、ポケットからくしゃくしゃのハンカチを取り出して渡してくれた。
「もうひとつ卒業祝いのプレゼントがあるんだ。行こう。」
 わたしが涙を拭くと、シンちゃんはわたしの左手を取って、もと来た道を歩き始めた。 最近はつなぐことのなかったシンちゃんの右手は、子供の頃と違って、大きくて、指が長くて、そして温かかった。
 シンちゃんは、わたしの手を引いたままバスに乗った。 人のまばらなバスの一番後ろの席に2人で並んで座って、でもお互いひと言もしゃべらなかった。

 行き先はアトリエだった。午後のアトリエには誰もいなくて、やわらかな春の日差しが窓から差し込んでいた。 シンちゃんは、後ろからわたしの肩を抱くようにしてアトリエに招き入れ、 窓際のいつもの位置に立てられたイーゼルの前にわたしを連れて行った。
 イーゼルに立てかけられたキャンバスには、白い布が掛かっていた。
「見てみな。」
 シンちゃんに言われ、わたしはその白い布をそっと外した。
 そのキャンバスに描かれていたのは、わたしだった。いつものソファでルルと遊んでいるわたしの姿。
「シンちゃん、これ、わたし?」
「そうだよ。リリが卒業するときに描こうと前から思ってた。」
「これ、油絵じゃないよね?」
「アクリル。今のリリには油絵より、透明感のあるアクリルのほうが似合うと思ったから。」
「でも、油絵のほうがよかったな・・・。」
 ちょっと照れくさくて、思わず憎まれ口を叩いた。
「お前、描いてもらっといてそういう文句言うかぁ?」
 シンちゃんが、わたしの後頭部をいつもの調子でパコンッと叩いた。
「ま、リリがもうちょっと大人のイイ女になったら、ちゃんと油絵、描いてやるよ。」
「約束だよ。」
「おぅ、約束な。でも、そのときはヌードだからな、ダイエットしとけよ。」
 そう言って、シンちゃんはニヤッと笑った。

 シンちゃんに貰った真っ赤なチューリップの花束と、シンちゃんが描いてくれたわたしの絵と、わたしの両肩に置かれたシンちゃんの手の温もり。 今はそれだけで十分な気がした。
 真っ赤なチューリップの花言葉は、「愛の告白」。 シンちゃんがそれを知っていてその花を選んだのかどうか、今は聞かないでおこうと思った。   [END]

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